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2006/12/13

師走

師走だからったって、何も急がなくても良い。 でも、若いと走っちゃうんでしょうな。 ン百万円の新車のスポーツカーをお釈迦にしたりして。 命が助かっただけで儲けモノでしょう。 無残な車を見ると心が痛みます。

他県の悪友んチへ行く時は山道を通るのだけれど、パッと見煽られ易い車なのか、元気いっぱいの車が勢い良く迫ってくると、こちらは気配を察知してやや左へ車を寄せて見事なタイミングでのウインカー。 ハザードを点滅させながら前方へかっ飛んでいってくれます。 んで、横道から白いバイクに青い制服のお兄さんが、赤いライトを回転させながら追っていったりするんですな。 風情があります。 しかし、捕まらなけりゃ大丈夫、また事実捕まったことのないようなのが、突き刺さったり、落っこちたり、潰れたりするもんです。 これは野暮天といわれても仕方がない。 暮れの押し迫ったこの時期こそ、車間距離をゆったりとって安全運転でいきたいものです。

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コメント

師走の意味、知ってる?
先生も忙しいこの12月、というのが俗説であるのだけれど、どうやら違うようだ。
古代中国では、新年を迎えるために、儒者、つまり礼儀を教える先生を各家庭に迎えたそうだ。どうやらこのあたりが師走の語源となっているようだよ。

最近知ったんだけど、儒教の真意ってすごいんだよね。僕らの知ってる儒教は、孔子さんの論語と礼儀だけれど、アレを哲学的観点から見ると、宇宙の法則まで拡大してみることが出来るそうだ。
たとえば、仁、義、忠、孝、礼の五文字だが、これは人が生活するうえでの自分や他人との係わり合いを表していて、この関係が拡大してゆくと、物質間の相互作用にまで到達する。更には、宇宙のホシボシとの関係にも至る。
最近この話題が面白い、と思った一幕でした。

投稿: ドラ | 2006/12/13 19:41

へ~へ~へ~。 勉強になった。
俺はJKDの関係から、中国というと儒教よりも道教の方に目がいっちゃうんだけど、儒教の方は宗教じゃないからね。 京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』って本が丸々儒教の本だったんだけど、どーしても日本人の俺はモノホンの儒教ってより、朱子学・陽明学~国家神道とのミックス~帝国主義みたいな印象を受けちゃうんだなぁ。 平凡な日本人はその印象。 何事も曇りなき眼で見ないといけんね。

投稿: コタツ | 2006/12/14 07:02

そうそう。儒教の不幸は政治に利用されていた歴史が長い、ということみたいだよ。

仁、義、忠、孝、礼の五文字を話題にしたのはさ、昔々に習ったじゃない?
「仁、義、忠、孝、礼のことを尽くさざれば、身、世に在ると雖も心はすでに死せるなり。生を偸むものというべし」
という一節があったでしょう?この解釈が違って見えたんでね。
僕らが考えている、従来の儒教思想からすると、五文字の表面的意味を踏襲しないと、いけませんよ、みたいな訓戒にとどまってしまう。
ところが、儒教の真意、というフィルターを通してみると、宇宙の法則に従わないと生きられない、という警告の意味になるんだ。面白いよ。

道教と儒教の違いも面白いと思った。
僕は双方優劣を付けがたいんだけど、生きる、という事柄に関しては、道教の方が勝っているのかもしれない。
儒教は、人は一人では生きられない、だから、人間関係を大切にしなさい、と解釈することが出来る。
一方、道教の人間関係への提言は、集約すると、一人でも生きられる、いや、生きるようにしなさい、という意味合いが見え隠れするんだよねぇ。

互いに対照的なのだけれど、儒教はソリッドリィ、道教はソフトリィ、という、感覚的なものが芯としてあるように思うなぁ。

投稿: ドラ | 2006/12/14 13:01

そうすると、主文に戻ってみると、小龍は道教的に煽る車の回避をつとめたことになる。
儒教的だと、礼知らずめ、逆に煽ってやろうか、みたいなことになるのかもしれないね。

投稿: ドラ | 2006/12/14 13:05

>宇宙の法則に従わないと生きられない、という警告の意味になるんだ
>儒教はソリッドリィ、道教はソフトリィ、という、感覚的なものが芯としてあるように思うなぁ。
そうそう。 頑ななんだよね、なんか。
その『陰摩羅鬼~』は、儒家の末裔の伯爵が例え話に「『孝經』にある「孝」を親子関係に収斂させてしまう事は、儒教の真理を"道徳に貶(おとし)める"だけのこと。道徳は時代・場の変化で変質するが、儒教の真理は何方(いずかた)の治世であろうと、永久不変に厳然としてある」と言うんだな。 常識も真理に非ずってな勢いで。 正しいのだろうけど頑なであり、儒教のそれが仕掛けとなってこの伯爵に悲劇が襲うという物語。
俺ゃ、タオの方が気が楽だぁね。 つーことで、俺は寝ることにする。

投稿: コタツ | 2006/12/14 18:46

ほう、ほう、なーるほど。面白いねぇ。
そうなんだ、頑ななだけに、形に囚われてしまい、儒教者は殉死する事が多かったらしい。
実はね、儒教の面白いところは、常識を心理としては認めない、という点にあると思うなぁ。
時代によっては、真理を追究すること、すなわち常識はずれ、と見られる傾向が強い。僕が儒教に惹かれるのは、常識はずれの部分だけかもね。
だって、儒教よりも面白いと思うのが、一休禅師が理想としたと考えられる仏教のありかただもの。

投稿: ドラ | 2006/12/15 18:57

誤>常識を心理としては認めない
正>常識を真理としては認めない 正誤表はこれで良い?>ドラ

さて、一休、それだ!
昔例えば『ピッポ君昆虫のひみつシリーズ』の姉妹シリーズで伝記シリーズがあって、唯一読んだのが『一休さん』。 生い立ちから最後亡くなる前までの波乱万丈の破戒僧の一休宗純和尚の生涯を分かり易く説明してくれて、同時期に『とんち小僧』時代のみのアニメは物足りなかった。
ま、禅寺親戚の多い自分はいろいろ聞く機会があって幸せだけど、どんなに積み上げても、小さい時にインパクトを受けた『一休さん』の本が思い出される 。まんが伝記に死体はでるは、愛人との生活はでるは。 大人になっても一休モノ文庫はいっぱいでてるし。 森田療法は禅だし、楽なのよ。わたしゃ、結局禅寺の末裔。だが、それが良い。

ちなみに京極夏彦作品では『鉄鼠の檻』というのが、丸々「禅」です。勿論、大陸からの禅からの系脈が複線で、トリックは「空海と禅」です。 

投稿: コタツ | 2006/12/16 06:47

ドラには『京極夏彦シリーズ/講談社文庫』にハマって貰いたいなぁ~(希望)。 周りで読んでるヤツがいなくてさ。 しんちゃんは読んでいるかな?
高校時代にスペンサーシリーズを進めてくれたヤツは今は兵庫だし。 しかし、ハマるかハマらないかは、本の評価よりも、結局その人の嗜好次第だもんね。 ドラから薦められた『八百万の死にざま』マット・スカダーシリーズや、ハメット・チャンドラー・ディックフランシスは合わなかった。 U川から勧められた椎名誠関係は、その昭和軽薄文体が嫌いで食わず嫌いでいたが、大学を卒業して仕事をドロップアウトしてからハマった。
今は必ず文庫新刊を買ってるのは、花村満月・宮部みゆき・京極夏彦・(故)中村らも・東海林さだお、石田衣良、筒井康隆。 あれだけハマった椎名誠は何年も買ってないや。 『本の雑誌』だけは定期購読している。

投稿: コタツ | 2006/12/16 07:14

はー、去年のほぼ日手帳2005の年末進行を読んでいると、どうも土日も少し仕事をしないと追いつかないペースだ。 そして、これは自分の年賀状の版画彫りを抜かしてのコト。 去年の今頃は、版下は完成して試し刷りを行っているのだ。 今年はまだ版木に下絵を写した段階で満足し、一彫りもしてない状態だや。
と、朝からこうしてキーボードに向かってカタカタ入力しながら、8:30の出勤時間までに、賦活剤の力を借りて気分をどんどん乗せていくんだ。 狭窄的になりながら、散漫を目指す。 集中力ではなく、「分散力」が大事だ。 さぁ、どんどん文章がそのていを成さなくなってきたぞ、うっひょっひょ~。 今日と明日で、昨年の先週分の仕事を終わらせるのだー。 事務所のPCスペックは俺の3倍だから、DVDメディアを何枚か持って行こうかしらん。

投稿: コタツ | 2006/12/16 07:21

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