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2005/11/15

ぼくの好きな先生

年賀状は版画だ。 始めたのは高校1年生からだ。 何年かブランクがあったが、毎年やっている。 たいして上手くはないが、愉しい。 アイディアを出すのは面倒だが、下絵を写すのと、彫るのと、刷るのと。 その作業が愉しい。 そして自作の落款を押して満足。 影響を受けたのは中学時代の美術の先生だ。
爺さんの先生でとてつもない頑固。 学級委員長だった俺は、美術の授業でうるさくなると1Mの直尺で何度も殴られた。(今の時代じゃ訴えられるナ) 担任になった事は一度もなかったが、そのクラスでは昼食は無言。 曰く「おまんまは遊びじゃねェんだ!」との事。 軍隊だ。

割と美術は得意で好きで、見せしめで怒られる事は1年生から続いたが、それでも先生は自分をかなり買ってくれていた。 卒業してから随分経って聞いた話。 1学期毎の個人連絡帳の表紙は、当時、自分のポップアートもどきのカンバスだった。 先生はウチの担任の机からオイラの連絡帳を抜き取り眺めてたという。 美術室の奥に、我々から「巣」と云われている専用の個室があった。 進学の際にその個室に呼ばれ、有名な美術教師のいる隣市の高校への推薦の話もしてくれた。

先生は版画家であった。 市内の小さな場所で個展などをひらいたりもしていた。 多色刷りの板目木版でモチーフは市内の風景だったが、色合いの妙とエッジの効いた線と柔らかい線が絶妙でとてもカッコイイ若々しい作品で、俺は見惚れていた。授業で教わった単色木版画インクは、ターナーの黒と墨汁とヤマト糊を混ぜたもの。 授業では大きな判だったので、彫刻刀を使っていたが、年賀状の大きさで細かいモノを彫る時に、主線を丸刀や三角刀を使わずに、切り出し(自分はずっとOLFAのアートナイフを使用)を多く使うのも先生の影響だ。(棟方志功先生のようにガリガリやるのも、いつかやってみたいな)

先生は、今から数年前前に亡くなった。 意外に多くの同級生が集まった。 作務衣を着て、当時、我々の前では決してみせなかった溢れ出るような笑顔の遺影であった。 RCの名曲 『ぼくの好きな先生』 を聞くと想い出す。
今年もまた、彫り始めている。

nengajo

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コメント

コタツさんからの版画年賀状、いつも楽しみにしておりますよ、私。
木の板彫りでしたか!本格的ですねー。
子供の頃なんか、ゴム版彫り楽しかったな~♪

投稿: SHIN-PON | 2005/11/16 12:34

>しんちゃん
うい♪ ぼちぼち頑張りますわさ。
ゴム版といえば、消しゴム(mono大きいの)を彫刻刀を彫る感触は大好きです。
故・ナンシー関女史の版画が見られないのは残念ですにゃ。

投稿: コタツ | 2005/11/17 06:36

良かったですね、故・ナンシー関女史の消しゴム版画。

←の「散乱書棚」で御紹介いただいた(名指しで)『鉛筆画スペシャル』、良いですねー。

そう、全ての始まりは鉛筆からなんです。

子供の頃は、裏が白い広告は3人姉弟で取り合いでしたヨ。

投稿: SHIN-PON | 2005/11/18 17:19

>しんちゃん
あえて、名指しということをしてまいした。(笑) いや、俺、絵コンテ買ってるなぁー、と。 DVD引っ張り出すより、見る回数が多い、と。 で、なんでだろー?と。 やっぱり、「紙に鉛筆」ってのは、目的は何でもよくて、「描く(書く)」という根源的快楽なのではないかなぁと。 描き心地という肉体的快楽、3次元のものを2次元に・思考という形のないものを言語にするという精神的快楽。 最近、0.9mmシャープばかり使うのも、鉛筆の筆感とシャープの簡便性だからで。
ウチの祖母は昔は小学校の先生でして、昔のわら半紙(自分が小学生の時のわら半紙より紙質はずっと悪かったけど。昭和紙事情。)がそれこそ山のようにあったので、クレヨンや色鉛筆よりも先に、鉛筆があったのです。 恵まれてたのね。

投稿: コタツ | 2005/11/18 18:29

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