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2005/07/17

『本の雑誌』

名前が剛速球だ。 編集長の椎名誠が数分で考えた名前だ。 『本の雑誌』および『本の雑誌社』のその成り立ちは、学生の椎名周辺原始共同体時代 『哀愁の町に霧が降るのだ(新潮文庫)』 、椎名誠が業界新聞社の編集に就いた時代 『新橋烏森口青春篇(新潮文庫)』に詳しく、その会社で数週間の部下であった目黒孝二との出会い『銀座のカラス(新潮文庫)』 にその萌芽を見ることができる。 そして、椎名自らが編集長となった『本の雑誌血風録(朝日文庫/本の雑誌社)』 と、個人的オススメ本コピー用紙『めぐろジャーナル』から始まり発行人となった目黒孝二側から見た『本の雑誌風雲録(角川文庫/本の雑誌社)』 を併読すると、その全貌がつかめるだろう。

長々失礼。 初の椎名誠体験は、悪友Uにススメられた『赤眼評論』だったが、当初はその昭和軽薄体というものに馴染めなかったが、今ではすっかりフリークになり、自分の分も影響を受けまくってしまっている。 その続きからか、『本の雑誌』を読み始めた。 田舎なので置いている書店が少なく、毎月注文していたが、のちに定期購読するようになった。 ダ・ヴィンチなどのライトな本紹介雑誌も買っていた(やはり大手出版社はかけるお金が凄いね)。 が、やはり、椎名・目黒・木村・沢野の四人の話が毎月読める『本の雑誌』が好きだったね。 まだ、前職の頃、BOOK OFFに山積の『本の雑誌』が無造作に縛られて置いてあり驚愕。 廉価であったので、速攻レジカウンターへ。 100冊余りのバックナンバーを一挙に手にしたのだった。 これは本当に嬉しかったなぁ。 宝くじに当たるようなもの、運命を感じる(大げさか)。 本の雑誌の活字は小さく読み応えがあり、そして過去の記事からいくつも本の紹介を目にして自分に大切な何冊かを見つけた。 

前職を辞めて、現職に就いたとき、研修期間として半年の東京生活をした。 紀伊国屋にも初めて行った。 デカくてびっくりした。 地方では置いていない本が平積みだもの。 そして楽しみは神田神保町の古書店街を散歩することだった。 足りない『本の雑誌』のバックナンバーを集めることを一つの目的にして。 なんだかんだと、結構あつまったが、創刊号は無理でした。 最古のモノは、1977年冬号(季刊)の第7号だ。(写真左。200円) 自分で初めて買った本『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』が、〔今月のお話〕として掲載されている。 総ページ数は74ページ('05年8月号は136ページ680円)。 本の広告は入れないかわりにズバズバ言うぜ!という気概があったころだ。 沢野ひとしの表紙絵も、現在のようなリリカルなものでなく、キチンとしているのも微笑ましい。 そして、この号では、本を読んでるだけで生きていれば良いという目黒孝二が、現在の評論家 北上次郎銘で書評を書いている。 目次を見ても、言いたい事を言いたい雑誌なのがわかる。

  • さらば愛しき西村寿行
  • 最近のミステリ新人にパワーがないのはどうしてか
  • 座談会「死ね!死ね!!角川商法」
  • などなど

今読んでも面白い。 さて、なんでこんなにも長々と本の雑誌について書いたかというと、先日届いた8月号が『本の雑誌30周年記念号』だったのだ。 30年。 文体は影響を受け、何冊もの本の紹介を受け、椎名誠周辺面々のその行動は大学時代の悪友らといまだに遊び歩いていることに通じている(メンバー連の書籍は全て網羅)。 しかし、あの創刊メンバーもいまや第一線を退いている。 内容も微妙に変化している。 だが今現在、毎号欠かさず買っている雑誌はもはや『本の雑誌』だけになってしまった。 思い入れがあるから、いくらでも駄文を連ねることはできるが、この辺で。 WEB本の雑誌 は、右欄のお気に入りから飛べます。 (写真左は77年冬号(季刊):写真右は30周年号)

maga

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